まだまだだな…と思う根拠
私が心から尊敬する人。
それはヴィクトール・E・フランクル。
「夜と霧」の著者で、アウシュビッツに送還され、生還した精神科医です。
今回はちょっと真面目なお話をさせてください。
彼はナチスの脅威が迫って来たときに、亡命するという選択肢があったのです。
ところが両親と共にオーストリアに残る決意をして、強制収容所に送られます。
この時、妻だけは説得して回避させようとするのですが、彼女も強い決意で夫と行動を共にすることを選ぶのです。
フランクル自身、何度も絶望し、希望を失いそうになりながら、自分の心を守ったのにはいくつかあるのですが、印象的なのは、一人の女性の死でした。
その若い女性は、死の床に伏せっていたときに、決して絶望せず「自分をこんなひどい目に合わせてくれた運命に感謝する」と話すのです。
驚いたフランクルが「なぜですか?」と問うと、彼女は「かつての自分は贅沢な暮らしをしていて、精神的な希望を追うことはしていなかったから」というのです。
「あそこにある樹は、ひとりぼっちの私のただ一つの友達だ」というのです。
フランクルは幻覚を見ているのかと訝しがったのですが、彼女は「樹は、自分は、ここに、いる」と言っているというのです。
「ここに、いる」
ただ、ここにいる。
全てを剥ぎ取られて
全てを失って
何もかも奪われて
余計なものや邪魔なものをなくしたからこそ、やっと気づくことができる、「ただここにいる」という存在の確かさと、澄みきった清らかな心の世界。
それを感じることができたことへの、深い感謝を伝えていたのです。
フランクルが生還し、自分と一緒に行動した妻が既に亡くなっていたことを知り悲しみます。
そして、両親や弟も既に亡くなり、生還できたのは彼一人だけだったのです。
彼がまず最初にしたことは、友人をたずね、自分の身におきたことを、繰り返し、繰り返し涙を流しながら語ったのです。
彼は、まだ涙を流すことができたことが幸いしたのです。
悲しみの限り語り続け、一緒に涙を流してくれる人がいてくれたことが、彼を慰め、そして、過酷な運命を乗り越えていくことができたのです。
そして、友人の一人に、こんなことを言うのです。
「こんなにたくさんのことがいっぺんに起こるのには、何か意味があるはずだ。自分にはわかる。何かが僕を待っている。何かが僕に期待している。何かが僕を求めている。」
「僕は何かのために運命づけられているとしか思えないんだ」と。
そして、「夜と霧」を書き上げるのです。
起こる全てのことに意味がある。
これは、この本を手にした、確か私が20歳前後の頃だったでしょうか。
その時に、生涯大切にしようと心に決めた言葉なのです。
どんな状況に置かれても、どんな不幸に見舞われても、どんな裏切りに遭っても
「何か意味がある」
「何かを学べと言っている」
そう思い、感謝できる自分でありたいと思うのです。(鶯)
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